粟津周辺のいろんな話を集めています。

 ・白山田の隠し田は年貢の徴収を逃れるためでなくて白山神社に奉納するための田で、白山田の町名の由来にもなっている

  ・白山田の峠から稜線を登ると、白山(今は樹木が伸びて見えなくなっている)が見える水田がある。(今は田んぼだった窪地が残るのみ) 稜線にありながら湧き水が絶えない不思議な田んぼだったといいます

。・小松市史などには井の口町の名前の由来は

   ①空海の掘り当てた井戸の側の集落だから井口

   ②粟津温泉の湯の口にある集落だからゆのくち

    とあるが、地元の人によればそんな井戸は無いんだとか。井ノ口はもともと水が出ない場所で、昔から井戸が無いので山田の入り口の清水と水口、二箇所の湧水で生活をまかなってきたんだそう。じゃあ空海の井戸ってなんなんでしょう?湧き水のことだったら辻褄が合うのですが。 

 ・西原、昔は二件の家しか無かった。山奥に民家があり、信長勢の侵攻を逃れた人々の中で、戦国時代が終わっても村へ降りて来るのは昼の耕す間だけで、夜は山奥へ帰って暮らしていた人たちがいた。

 最近になって西原の人々が言い伝えの場所を探し当てて石垣の上を掘ってみると、真鍮の蝋燭立てなどが出てきたそう。戦国時代の現場が生活を経てそのまま残ってる場所、ってことですよね。掘ってみたい

 ・牧姫は仏御前とともに京から小松へやってきた、と説明する書物がありました

 ・那谷町史に、木曽義仲と巴御前が日用町へ滞在した時地元の人々に柿の葉寿司の作り方を教えていった、という伝承が残っている 有川家のお祖母ちゃんが那谷町史の編集者に言い伝えを残し、それが書物となり残っていた 他にもいくつか昔話を残されています

 ・平安時代の修験者玉舟、金髪で白い肌青い目に金の髭、長い耳。150歳過ぎてるのに56歳くらいの見た目だった。願掛けしてる途中で護摩壇に飛び込み消えてしまったそうです